

朧ゝ夜行 -長夜綴り-
『科戸』
時期:2年前の冬。 視点:--
そんなつもりはなかったのに、自分の叫びと同時に傷付けられた周囲の状況に理解が追い付かない。
(八重、本当に化け物なの……?)
ふらふらと後ずさりながら男の人を見れば、彼が片手で抑えている肩口、そこが黒く染まっていた。そして、足元のまっさらな雪には赤い斑点が広がっていて————
————一体どうしたんだ!?
————桜、桜……っ。
————八重、この子が……。
————化け物!!
突如蘇る鮮明な記憶。
あの日、桜が……、妹が木から落ちて、わたしはそれを助けようとして————。意識を失う最中に聞こえていたのは、怯え切ったみんなの声だった。
「……、そんな、つもりじゃ……っ、」
途端に恐ろしくなって逃げ場を探すように周囲を見れば、遠くから迫って来るいくつもの灯と人の声がする。
『化け物が逃げ出したぞ!!』
『捕まえろ!』
『もう生かしてはおけん、今度こそ……!!』
「……っ、」
こちらを責め立てるような声が耳元から聞こえてきて、喉を押さえつけられたかのように呼吸ができなくなる。わたしは悪くない、わたしのせいじゃない。誰も傷付けたくない、誰も苦しめたくないのに……!
「もう、うるさいッ!」
どうしたら良いのか分からなくなって、頭を抱えて世界から目を背ける。そうしてみれば聞こえるのは風の音だけになって、誰の声も聞こえなくなった。
*
(……不味いな。)
少女の精神状態をもっと深刻に考えて行動すべきであったと自分自身を恥じるも、現状の解決にはならない。後方から村人たちが駆けてきているのだが、この状況を見られては彼女の置かれている状況を悪くするだけだ。
幸いにも少女は屈んで身を丸め、さながら怯えた獣のように警戒心を剥き出しにしつつもこの場から逃げ出す気はない様子。
「……八重さん、落ち着いて!」
我ながら陳腐な言葉であると思う、しかし切実だ。
力と感情の結びつきは定かでないが、感情が高ぶる際に思いもよらない強力な力を発揮するのは通常の人間であれ見られること。であれば、まずは平静を取り戻してもらうことが良いのだろうが——。
「私はあなたを傷付ける為に来た訳ではありません!」
そう言いながら、一歩ずつ彼女へと近づく。
「来ないでっ!離れて!」
近付く気配を感じたのか、思い切り顔を上げた彼女は悲痛な声で叫んだ。その声と同時に再び切り裂くような風が抜けるも結界で弾く。
「……ッ、」
そんな様子にも更に怯えたようで、少女は腰を抜かしたように地面へ座り込めば、じりじりと後方に後ずさるだろう。
「八重さんっ、大丈夫ですから——、」
「お客人と、アイツ……!?」
「おいおい、一体なんだってんだ!」
「ひいっ、い、今の見たかよ!?」
そうしている間に村人はこちらにやって来てしまったようで、少し離れた場所で思い思いに声を上げている。
正直な話、頼むからこれ以上刺激となる要因を増やさないで欲しいのだが————
「みなさん、下がって!」
こうなっては、少女が誰かを害してしまう前に事態を治めねばならない。そう思い再び彼女を見据えれば、彼女は惚けたように瞳を丸くして固まっていた。
*
村のみんながわたしを見ている。怒っているような、恐れているような視線が突き刺さるように痛い。
どうして、どうしてこんなことに。わたしのせいじゃないのに。誰か、助けてよ————。
再び自分の血が茹るような気配を感じて、もう駄目かもしれないと感じたその時。
「……っ、父さん、桜……。」
集まって来た村人の後ろに見知った顔があって、父の静かな眼差しと、桜の不安に揺れる瞳がこちらを向いている。周りのみんなはこっちを向いて色々話しているのにも関わらず、二人は何も言わずに見ているだけ。……どうして?
(ふたりとも、八重が怖いの……?)
家族はわたしのことをずっと愛してくれているって思っていた。いつだって帰りを待ちわびてくれていて、いつだって温かく抱きしめてくれるんだって、そう思っていた。
それなのに————
(どうして、抱きしめてくれないの……?)
少し離れた場所からこちらを見ているだけの二人の視線に、荒れていた心が凪いでいく。もう、何も考えられない。
*
少女が動きを止めたその隙を逃してはならない。
彼女と自身の間に張っていた結界を消せば、彼女の元へ駆ける。
「手荒ですみません……!」
驚いたように見開かれた少女の瞳がこちらを向く。その瞳が次いで瞬きをする前に、彼女の額に手を伸ばし————……
・
・
・
暴風は鎮まり、夜の静寂が戻ってきた。意識を失っている八重を抱えた九条は様々と反省点の残る結果に苦笑を溢しつつも周囲の村人へ向き直って口を開いた。
「……お騒がせをしてしまい、申し訳ありませんでした。」
八重が居たのだろう小屋は大破し、その周囲の地面は巨大な獣にでも引っかかれたように抉られ、また、近くの桑畑の木々のいくつかも無残に切り刻まれていた。傍目に見て”酷い有様”である。
「やっぱり化け物だったんだ。」
「聞いたんだけど、そもそもあのお客人って……。」
「ああ、“そういうの”を退治するんだろ?」
「おい、うちの畑が……っ」
「酷い……。」
村人達はこそこそと話しながらこちらを疎むような視線を向けており、その奥に居た少女の父と妹は静かにこちらを見ていた。(妹の方は今にも駆け出したい衝動を堪えている様にも見えたが。)
少しばかり考えて、口を開く。
「……みなさん、聞いてください。私は彼女に巣食っていた悪しき存在を祓う為、山城の都よりやって来た者です。そして、その悪しき存在は今滅されました。これより先、彼女があなた方を傷付けることはないでしょう。」
一部分でまかせではあるが、この状況——何より今後もここで暮らしてゆく八重の家族のことを思えば、手前勝手ではあるが必要な嘘であったように思う。
「……なんだ、そういうことだったのか。」
「確かに山城にはそういった組があるって聞いたことあるぞ。」
「いや……、そんな簡単に信用していいのか?」
そう簡単に人の感情は覆せないものだが、何にせよ、この先神薙となることが決まっている彼女をこのまま村へ置いておくことはできないのは事実だ。
「……しかし、人ならざるものが彼女へ及ぼした影響は計り知れません。保護も兼ねて、私は彼女を連れ、国へ戻ろうと思います。」
そう言えば周囲は再び騒々しくなるものの、暫くすれば落ち着きを見せるだろう。
「まあ、そういうことなら……厄介払いになっていいか。」
「……そうだな。」
そうして渋々納得をした村人はそれぞれの家へと戻っていった。人々が掃けた後に残ったのは八重の父とその妹で、妹の方ははっとしたように駆け出しこちらへやって来て、力の抜けた少女の手を取った。
「おねえちゃん……っ。」
父親も眠っているその顔を見れば、複雑そうに眉を寄せてこちらを見やった。
「娘は……、一体……。」
「……先程はああ言いましたが、八重さんの力は人ならざるものによるものではありません。彼女自身が持つ力です。」
「そんな……、それじゃあ————」
「私達は仲間内でこの力を“妖力”と呼んでいます。そして……簡易的ではありますが、八重さんの妖力を一時的に封じ、あの力を抑え込ませていただきました。意識まで失ってしまったのは想定外でしたが……。」
そう言い、腕の中で眠る彼女へ視線を向けた。……あまりにも簡易な“それ”には親の手前申し訳ない気持ちで苦しくあるが、致し方ないだろう。
「そうでしたか。……先程、娘を連れてここを出ると仰いましたが、それは……。」
「ええ、詳しい話をさせてください。ですが——、ここは冷えます。この子にも触るでしょう。」
そう言えば、頷いた父親は再び自宅へと招いてくれたのだった。
夫婦と自分、大人だけで改めて腰を据えれば、”簡易的なこの封印がどれほど持つのか分からないこと”や“妖力を持つ人間<神薙>を招集している件”など、ことの仔細を説明した。
「……尤も、彼女をこの村へこのまま住まわせることも難しい……、それはあなた方も感じておられるでしょう。」
「ええ。」
「……はい。」
夫婦はそれぞれ肯定するものの、決して快い決断ではないことも窺える表情だった。
理由はどうであれ、八重はこの村を荒らしてしまった張本人であって、今後も村人から煙たがられることは想像に易い。この一家が村を出る選択でもしない限り、風当たりの強さは家族全体へ向けられるものとなることだろう。……当然、彼女を連れて行ったとて、信頼を取り戻すためには長い時間を要することになるだろうが。
「明朝、ここを発とうと思います。目覚めた八重さんと別れの挨拶をさせてあげることができず、申し訳ありません。」
「……いえ、私たちでは救ってやれなかったあの子を助けてくださり、ありがとうございました。」
母がそう言えば、隣の父も頭を下げた。
それから暫く話しをして空が白む頃にもなれば、出立前の休息をと部屋の隅を貸してくれたのだった。どうしたって重苦しくなる空気の中、それでも夜は明けて日が昇る。