top of page

​『香車』

時期:-- 視点:--

――あれから数日が経った。

件の勅令のこともあり慌ただしく動いている者も居るが、その根幹に関わる立場ではない自分は、これまでと変わらない日々を送っていた。……いや、関わることを避けている、の方が正しいかもしれないが。

 

そんな取り留めのない一日の中。余暇時間をいつものように自室で書見にふけっていると、控えめに扉を叩く音が響いた。

 

「どうした」

「旦那様にお客人です」

「そうか、では書院の方へ通しておいてくれ」

「承知いたしました」

ぱたぱたと、廊下を小走りに駆けていく音。

その音に耳を傾けながらも、手近な上着を羽織り、自分も応接間の方へと足を向ける。

 

今日は人と会う約束はなかった筈、文も寄こさず使いもよこさずとは、何か急な話でもあるのだろうか……と。

そんなことに思考を巡らせながらも部屋の前まで向かえば、自分の到着を待っていた下女が「九条様です。旦那様にお話があると」と、端的に用件を伝えてくれる。

 

「分かった。お前は下がってよい」

 

一礼して去っていく下女を横目に応接間の扉を開くと、部屋の中に居た客人――九条尊は、こちらを見て人好きのする笑顔を浮かべている。

 

「すみませんね、いきなり」

「いえ、暇をしていましたから」

 

形式的な挨拶を交わし、尊様の前に腰を下ろす。

 

「……何か話があるとのことでしたが」

本題を促すようなこちらの言葉に小さく頷き、彼は口を開いた。

 

「ええ。今日はあなたに、折り入って頼みがありまして」

「なんなりと」

「ふふ、頼もしいですね。……先に本題だけを伝えるならば、平等院の宝蔵へ、共に来て欲しいのです」

「平等院の宝蔵ですか。向かうことは構いませんが、その理由をお聞きしても?」

「あなたも少しは聞き齧っているかもしれませんが、あの場所……宝蔵には、この國に存在している呪物や、人ならざるものに所縁のある品々が収められています」

 

そう言いながら瞳を細めた尊様を見て、そういえば自分の父も時折あの場所を訪れていたことがあったことを思い出した。

 

「そして、私の結界や護符でその力を弱めたり、封じたりと……。要するに、管理や保管をしている訳です。……けれど、結界はさておき護符は劣化しますからね。時折訪れては貼り換えを行う必要があります」

「……では、私はその手伝いをさせていただけばよろしいと」

「話が早くて助かります。あなたのお力を借りたいのです」

「……断る理由が何処にありましょうか」

 

自分の返答を聞き、「では、」と具体的な日取りの話などに移った尊様。

彼に対して一つの疑問〈なぜ自分なのか〉が浮かぶが、それを口にすることは憚られ。

そんなこちらの内心を知ってか知らずか、尊様は一通りの話を終えたのち、こちらを見据えた。

 

「本来であればあなたの手を借りずに私だけで済ませたかったのですが……。近頃の状況もあり、家の者が煩くてね。……実際、私も人手は欲しいところですし、あなたは羽一様のご子息ですから他の者と比べてこういった事柄に知見が深いだろうと。……そう思った次第です」

そう言い、苦笑を零したのだった。

 

「……その期待に沿えるよう努めます」

「ええ、頼みます。……さて、事の次第は以上ですから、私は失礼しますね」

時間を割いてくださってありがとう、と、最後にそれだけを言い、尊様はこの場を去っていた。

bottom of page