
朧ゝ夜行 -長夜綴り-
『科戸』
時期:2年前の冬。 視点:九条
橙色に染まった景色の中、雪を被った畦道を歩く。周囲を見回しても特別可笑しなものはなく、人ならざるものの気配だとか、逆に何かを封じる為の結界なども見当たらない。相も変わらず外を歩く人は居らず、これでは一晩で文の書き主だと言う少女を見つけることも叶うかどうか。しかし、強引な手段に出るべき段階でなければ、その理由も証拠もない今、手詰まりだと言わざるを得ないだろう。
空が藍色に変わりつつある中一体どうしたものかと白い息を吐けば、背後から軽い足音が聞こえてくることに気が付いた。
「……おや、こんばんは。」
ゆっくりと振り返れば、そこには桃色の髪をした小柄な少女が立っていて、彼女は周囲を伺うように忙しなく瞳を動かせば、おずおずと口を開いた。
「おにいさん、“ろうげつてい”から来たの……?」
「それは————」
彼女の口から放たれた言葉に核心する、この少女があの文の書き主か。膝を折り、怯えた様子の少女に目線を合わせたなら落ち着けるように、努めて穏やかな言葉を選んで。
「……ええ、初めまして。私は九条と申します。あなたがあの文を送ってくださった方ですか?」
そう問えば、堰を切ったように感情を露わにした少女は瞳に涙を浮かべて言葉を続けたのだった。
「ほ、本当に来てくれた……っ。あの、わたし、わたしのお姉ちゃんが……っ、」
「ゆっくりで大丈夫ですよ。」
「あ、あの……、うちに……、うちに来て下さい。みんなに知られる前に……っ。」
少女は自分を落ち着けるように深く呼吸をした後で、こちらの着物の裾を引いた。
*
「桜、そちらの方は……、」
「父さん、母さん……。」
桃色の少女に連れられて一軒の民家へとやって来たのだが、彼女は玄関を入ったすぐの所で両親らしき二人と顔を合わせれば、気まずそうに視線を床へと落としたのだった。
「初めまして、私は九条と申します。」
なるべく警戒されないよう努めて挨拶をして、それから桜と呼ばれた桃色の少女へと視線を向ける。文の件を話しても大丈夫かと確認をしたかったのだが、少女は少しだけ迷ったように瞳を揺らせば口を開いた。
「……九条さんをここに呼んだの、わたしなの。」
「……。」
桜の言葉に顔を見合わせた夫婦に、少女は弁明をするように言葉を続ける。
「みんなに迷惑をかけるつもりなんてないの……!ただ、お姉ちゃんを……。」
「八重のことを……?」
「……一先ずあがってもらいなさい。玄関先で立ち話をさせては失礼だろう。」
そう言った少女の切実な言葉を聞き夫婦はそれぞれの反応を見せたものの、家長である父親の言葉によって許しを得れば家の中へと通されたのだった。
先ほどの民家とさして違いのない居間に通されれば、夫婦が正面に、そして少女は傍らに。また、部屋の廊下からは幼い少年がこちらの様子を伺い見るかのように顔を覗かせていた。
「桜、話しを聞かせてちょうだい。」
母親に促されるままに、少女は口を開くだろう。
「わたし、お姉ちゃんを助けたくて……。この間、ここに商人さんが来たでしょう……?その時に、街の話を聞かせてもらったの……。それで、かんなぎと、ろうげつていってところの話も聞かせてもらって……。」
「かんなぎ……ろうげつてい……?」
要領を得ない様子で首を傾げた母親に視線を向けて、補足をするように言葉を挟み。
「私の方から詳しくご説明させてください。昨今世を騒がせている人ならざるものへ対処する専門の組織が朧月邸であり、そこへ属している人のことを神薙と呼んでいます。」
「……そうなんですね。九条さんもその神薙でいらっしゃるの?」
「ええ。そして、今回娘さん——桜さんからの依頼を受けて、此処へやって来た次第です。」
そう言えば、夫婦は驚いたように瞳を丸くして少女へ視線を向けた。
「お前、どうやったんだ。」
「……商人さんに教えてもらって、文字を書いたの。それを都まで運んでくださいってお願いして……。」
「……そうだったのね。……八重の為に、ありがとう。」
「母さん……。」
涙ぐむ二人を見て、寡黙な父親は口を開いた。
「九条さん。八重は……、娘はある日突然奇怪な力に目覚めたんです。そのせいで、村のみなからも、外の者からも化け物扱いされている。その子の顔の傷は、八重が付けたものだ。」
そう言われれば、少女は眉を下げて自信の顔に触れた。そう——、彼女の顔には何かで切り付けられたような大きな傷跡が残っており、傍目に見ても痛々しい様だった。
「なるほど……、それで、隔離されていると?」
そう問えば、母親が頷いて見せるだろう。
「娘は恐れられているような化け物ではありません、人間です。……ただ、あの子に近付こうものなら、その子の傷のように……、かまいたちにでも切られたかのようになってしまうのです。ですから、外に出してはおけなくて……っ。」
堪えきれないように涙声になった母親を見て、父親の方が言葉を続けた。
「先程言っておられた神薙というのは、人ならざるものへ対処する組織なのでしょう。娘のことを、どうにかできるのですか。」
向けられた真剣なまなざしが彼らの繋がりを物語っていて、だからこそ、安易な言葉は癒えなかった。
「……八重さんの状態を見てみないことには、なんとも言えません。例えば原因が人ならざるものに由来する可能性もありますし、そうでない————生まれ持った、彼女自身の力である可能性もあります。」
「……っ、八重が生まれながらに化け物だと、そうおっしゃりたいのですか。」
「いえ、そうではありません。……この日ノ本には、ごく稀に説明のつかない不思議な力を持つ者が生まれます。そういった力が、歳月を経てある日突然目覚めることもあるでしょう。八重さんがそうであった場合——……」
「そうだったら、お姉ちゃんはもとに戻らないの……?」
「……一度本人の状態を見てみないことには、なんとも。」
そう答えれば、夫婦は再び顔を見合わせたのだった。
「九条さん、私達家族には大した権力も力もありません。今だって、八重に近付くことができないどころか、私達も同じように危険な力を秘めているのではないかと、疑いの目で見られているのです。」
「……子供たちの為にも、これ以上この村での立場を悪くすることができない。ただ、八重のことも助けてやりたい気持ちは本当です。」
夫婦はそう言って、もどかしそうに顔を歪ませるだろう。
「村の北西にある小屋……、その地下に八重が居ます。村の者は戌の刻から寅の刻の間は外を出歩きませんし、人目も少ないでしょう。どうか……。」
「おねえちゃんを、助けてください……っ。」
「……分かりました。できる限りの力を尽くしましょう。」
家族の繋がりの尊さをひしと感じれば、どうにかしてその思いに報いてやりたい。
そう思えば、しっかりと頷いて見せたのだった。