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​『秋水』

時期:2年前の秋。 視点:常葉

物事の転機とは往々にして突然のことであり、それが前触れなく訪れるものだからこそ、記憶の中でも特別な色を残すことになるのだろう。

 

 

————何やらよく分からないまま駿府城本丸の一角に通されてしまったワタクシ。一体これからどうなるのでしょう。

 

日も傾き、天上が茜色から二藍色へと移り変わった頃合い。刀の一件があった後、常葉は出会ったばかりの二人に連れられ府中の中枢である本丸へと連れられれば、通された座敷の一角で待ち惚けをくらっていたのだった。これほど格式の高い場所へ足を踏み入れたのは当然初めてのことであり、少しばかり落ち着かないまま暫く周囲を眺めていれば、先程の人物らが戻ってきた。

 

「お待たせしてしまい申し訳ありません。……いえ、それよりも、いきなりの出来事で怖がらせてしまったでしょうか。」

「いえ、」

眉を下げて苦笑を浮かべた男の立ち位置も分からないものだから、何と答えることがよいのか判断できず簡単な相槌だけを返せば、相手はそれをこちらの困惑と取ったようで。

 

「私は九条尊と申します。……初めに、お嬢さん。あなたの名前を伺ってもよろしいでしょうか。」

「ええ……、常葉と申します。」

このような場でなんと名乗るべきか少しばかり迷いはすれど、”その名”を口にすれば、九条は「常葉さんですね」と穏やかな声で繰り返して。

「そうですね、常葉さん。先に結論からお伝えしましょう。今回の御前試合が開かれている期間内、あなたにはここ———駿府城内に留まっていただきたいのです。」

想定をしていなかった方向の言葉を聞かされれば、暫し言葉を探すように口を閉ざして。

「ワタクシは放浪の旅に身を置いていますから、ありがたいお話しではありますけれど……。なぜ、と聞いてもよろしいのでしょうか。」

そう言えば、目の前の二人は示し合わせるように互いの視線を交わらせた後、言葉を続けたのだった。

 

「ええ、そうですよね。……今からお伝えすることはあなたにとって馴染みのない、ともすれば理解をし難いことかもしれませんが、一度、全ての事実をお伝えしましょう。」

一先ずは聞いて下さいねと諭すような口調で九条はそう言って、隣に居た武士然とした男に話を振った。話を振られた男は身を正して口を開く。

「はい、まずは貴女もご存じの事かと思いますが、先程の刀——霊刀、布都御魂剣。あれは此度の御前試合における褒美の一つとして用意されていました。……が、本来褒美の品として用意する刀は布都御魂剣の“複製”の予定だったところ、なんの手違いか本物の刀が持ち込まれていたようです。」

「あら……、そうだったのですね。」

“複製”と聞くと格が落ちるような気はすれど、あれほどの霊刀の模倣であればそれはそれで興味がわきもするが。

「ええ、それが問題なのです。元来、強い力を持つ存在は善悪の様々を引き付けてしまう定めにあります。故に、通常ああいった霊刀の類を保管する際には力を抑えるための厳重な保護、または存在を隠匿するような形を取っているのです。」

そこまで言った九条は近くにあった丸形行燈を手元に寄せて話を続けた。

「仮に、布都御魂剣自体には善なる力が込められていたとて、その足元には強い影か落ちるもの。」

彼が触れていた行燈の影もそう。灯のすぐ足元に落ちている影の輪郭は色濃く明瞭であり、遠くに向かうにつれて淡く拡散されている。

 

「……つまり、無防備に晒されていた刀に引き寄せされて、良からぬものがこの地へ来ていると……、そうおっしゃりたいのでしょうか。」

「その可能性は高いと推察しております。事実として、ここ数日の間、駿河国内では人ならざるものによる被害報告が増しているようですから。……そうでなくとも、情報が漏れてしまえば本物の霊刀を我が物にしようと企てる者が出る可能性もあります。」

そう言った九条にもう一人の男も頷いてみせるだろう。しかし、それにしたって自分がここへ留まることへの回答にはなっていないのだが。

「事情は分かりましたが、ワタクシは何をすればよいのでしょう。それに、刀をこの場に置いておくことがそれほど危険だと言うのなら、まずはそちらをどうにかする方が良さそうな気もしますけれど……。」

はて、と。浮かんでいた純粋な疑問を言葉にすれば、九条は頷いて。

「前提として、今回の御前試合が終わるまで、刀はあくまでも賞品としてこの場所に留め置かれるそうです。……ですよね?」

隣に並んでいた男に話を振れば、やや居心地が悪そうな男は肯定するように頷いてみせる。

「はい、今になって前言撤回する訳にも行きませんから。ただ、一刻も早く複製と入れ替えるように手配はしています。」

「……と、このように現状を今すぐに変えることは難しい。となると、事が過ぎるまで平穏を保つことが課題ですが、正直にお伝えすると我々のみでは手が回らないのです。」

困ったように苦笑を浮かべた九条は、あなたにご無理を言っていることは承知の上で、と前置きをして。

「先ほどの一件からして、あなたには“資質”があるとお見受けいたしました。いつ何時何が起こるのか分からない状況において、他の人々には感じ取れない何某かを察せられる力……、その嗅覚は、とても有用なものです。」

九条の言葉に続き、もう一人も口を開く。

「何も貴女へ荒事を頼む訳ではありません。ただ、刀に近付く不審な存在や、不可解な現象に気が付くことがあれば報告をして下さるだけでよいのです。」

「我々にもそういった存在を知覚する手段——例えば知覚計器としての結界を貼るだとか——はありますが、今回のように無数の人々や人ならざるものも気配が行き交う空間においては、かえって感覚を鈍らせてしまうのです。……ですから、あなたのような“人”の力もお借りしたく、こうしてお呼び立てをしました。」

「どうか、お力をお借りできませんでしょうか。」

そう言った二人はこちらの返答を待つように、浅く頭を下げたのだった。

「なるほど。どれほど力になれるのかは分かりませんが、そういったお話しであればお任せください。」

「……ありがとうございます。」

快諾すれば、九条は表情を緩め、男は肩を下ろし。それぞれの反応を見せた後、男の方は早速あてがう部屋の手配などを済ませると言ってこの部屋を後にした。

男の足音が遠のいて二人きりの空間となれば、九条は先ほどまでの弱ったような柔和な雰囲気を一変させ、その双眼を細めた。

 

「……彼は“荒事はない”と、ああ言っていましたけれど、私はあなたの持つその刀——それが、ただの飾りではないと思っていますよ。……違いますか?」

彼の言葉に促されるように、畳へ寝かせていた刀へ指先で触れ。

「ふふ、……ええ、“ワタクシの”愛刀ですから。」

片手を口元へ添えてそう言えば、九条は力を抜いたように穏やかな笑みを浮かべた。

「それは頼もしい限りです。先程ここ数日駿河国内で人ならざるものたちが活発になっているとお伝えしたでしょう?……しかしですね、不思議なことに、駿府——さらに言えば、恐らく元凶だろう布都御魂剣が留置されていた此処は、至って平和なものなのです。あなたは、これをどう考えますか。」

「…………まるで狩の機を伺っているよう、とでもいいましょうか。」

「おや、御明察。やはりあなたの感覚は特別鋭いようですね。……実は、先達て遠方に居る仲間——その者は先読みができる者なのですが、そちらから情報が入りまして。“此度の御前試合は行われないことになるだろう”とのことです。つまり、今夜から明日にかけて、何かが起こるのでしょう。」

そこまで言った九条は一呼吸ぶんの間を開けて。

「あなたのその力、きっとお借りすることになるかと。」

彼がどこまで此方の事情を知っているのかは分からないが、根拠のない信頼も寄せられれば悪い気はしない。

「ええ、お任せください。」

 

今一度刀の鞘に触れ、この中に眠る刃を白日に晒すその時に焦がれるかのように、ゆるりと撫でつけたのだった。

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