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『海石榴』

時期:3年前の冬。 視点:椿

チャン 、ラン、チャン、ラン。カラン、カラン。

 

*清掻<すががき>の三味線の音に合わせて、下駄箱の下足札を打ち鳴らす音が響いている。かくも楽し気で、しかし、浅ましい意を孕んだその音色は暮れ六つを知らせ、いよいよ見世開きとなる。

 

”おあんない、おあんない。”

 

妓夫台に乗り上げた牛太郎は道行く男に向かって声を張り、木組みの格子越しに女達は自らの美しさを惜しみなく披露するのだ。これら全て、幾度となく聞きなれた音、見慣れた風景だ。

 

「……さん、姐さん!」

着物の裾を引かれ、はっとする。

 

「姐さん、お疲れですか……?なんだか上の空みたいで。」

そう言いこちらを伺い見ているのはお菊だった。

そう——、今夜の余興は別の同僚と共に向かう予定であったのだが、その者が件の失踪した芸者であり、急遽穴埋めとして経験の浅い彼女と席を共にすることとなったのだ。

 

「ぬしが案ずるようなことはない。……にしても、肝が据わっておるやつじゃの。」

「えへへ、姐さんと一緒の席ですからね!緊張……はしますけど、心配は何もないですよ!」

そう言った彼女は誇らしげに胸を張った。

「それは……、まあよい。今日はぬしも何度か顔を合わせておるだろうお客じゃ。よっぽどのことがない限り大丈夫じゃろう。」

「姐さんのお得意様なら余計に頑張らないとですね!」

 

両手を顔の手前まで掲げてぐっと握りこぶしをつくって見せた彼女は、年齢以上に幼く見えて愛らしかった。

(天性とも言える明るさとこの愛嬌があれば、きっと人気が出るのも早かろう。)

いつかの未来を想像しては、口元にささやかな笑みを浮かべたことは此処だけの秘密。

​​[ 用語 ]

*清掻(すががき):三味線で弾かれる、歌のない楽曲。江戸吉原の遊女(なかでも見習い女郎)が客寄せのために張見世で弾いていた。これに合わせて吉原で働く男衆が下足札(お客の下足を預かった時札付けする番号札)の束を鳴らして合いの手をしていたそう。

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