
朧ゝ夜行 -長夜綴り-
『秋水』
時期:2年前の秋。 視点:葉室→九条
日の本を取り巻く様々な問題が一向に良い方向へと向かう兆しは見えぬまま、物語は朧月邸が新たな仲間<玖香>を迎え入れた冬からあくる年まで進み———、
邸宅の庭木が燃えるような緋色に染まりきった秋。
「————万羽、よいところに。」
仕事を片付けた葉室が私室へと歩いていれば不意に呼び止める声がして。そちらへと視線を向けると、庭先にはすっかり馴染んだ様子の玖香と壬生が並んで腰かけており、二組の瞳が彼へと向けられていた。
「……ああ、文が届いていた。」
「ここ<朧月邸>宛てじゃったが、ぬしが目を通した方が良いかと思うて、わっちらは開けとらんぞ。」
視線だけで玖香に促されれば、何かを思い出したかのように壬生は懐から一通の文を取り出し、こちらへと差し向けた。
「文?……おん、尊様からか。」
向けられたそれを片手で受け取った葉室は、少しばかり思案するように眉を寄せたもののそのまま括られた麻紐へと指をかける。遠方に出ている九条がこうして近況報告の為に手紙を寄越すことはいつもの事であり、普段通りであれば彼らの眼に触れて差し障りがあるような内容は書かれていないだろう。
そのまま解き開けば————、はらりと、鮮やかな紅が一枚視界の端に舞った。
「……息災なようだ。」
床板に舞い落ちたそれを摘まめば一つ息を溢した葉室に対して、玖香はくすりと笑みを零して。
「楓の葉か、……ふふ、彼奴は洒落たことをするのう。」
「文に葉を挟むことが洒落ているのか?」
葉室がつまんでいた楓に視線を向けた壬生はさながら幼子のようで、よく分からないと言いたげに首を傾けた。
「要にはまだ分からぬじゃろうかのう。“会えぬ代わりに自らが触れたものを贈る”ことの意味が。」
「……?」
「玖香、そこまでにしておけ。第一、果たしてあの方にそういった思惑があるのかは分からぬ。」
「ふふ、それもそうじゃ。」
納得したように頷くものの、いまだ愉快そうな顔をしている玖香を見れば、再び溜息を溢し。漸く書面に視線を落とそうとすれば、腰掛けていた壬生の視線が未だに紅の一葉に向けられていることに気が付いて。
「なんだ、これが欲しいのか。」
「……、いや。どうだろう。」
見えぬ何かを透かし視るかのように瞳を細めれば、曖昧な言葉をこぼす壬生。
普段から読み難いこの男の思惑は相も変わらず掴めぬままで——、いやこれを一から十まで理解をする方が現実的でないのかもしれない。
「はっきりとせん奴だ……。」
尤も、視線を横に流せば庭には立派な楓の木が植わっており地面にすらも赤々とした葉が散らされているのだから、この一枚にものとしての貴重性なんてないのだ。しかしながら、主人と従者となれば簡単に放り捨てるのも憚られ。あえてなのか、そんなありふれたものを贈ってくる主人に対しても肩を落とさずにはいられなかった。
『道すがらの楓があまりにも美しい色をしていたもので、その一葉をあなた方への斟酌としてお送りしましょう。さて、本題になりますが————』
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「駿河で行われる御前試合に、ですか……?」
「ああ。本来であれば主上<天皇>をお招きした天覧試合としたかったようだが、その代わりとして近衛家と九条家の当主をと。」
夏の暑さも峠を越し、秋の気配がほのかに香る季節。久方ぶりに開かれた*堂上家の会合では、駿河で開かれるという御前試合の話題が挙がっていた。
「……何故九条が?」
「順当に言えば近衛と————……」
一括りに公家と言ってもその序列は細分化されており、上げられた近衛家というのは簡単に言えば公家の中で尤も多くの*知行地を有している。納得のいく人選だ。しかし、同列の家柄内で比較をすれば次席とは言い難い自らにお役目が降りかかるとは一体何事か。
「皆様方が仰る通り、私には身に余る役目です。一体何故?」
「此度の試合、どうやら真の斬り合いをするつもりだとか。ふふ、見世物としてはこれ以上ないものになるだろうが——、おっと、話しが逸れたな。兎も角、血は流れど命を落とすことは避けたいといった都合もあってか、九条家には別で声が掛かったという訳だ。」
つまるところ自分は客人としてではなく、真剣で斬り合いをする形式を取るが故にどうしても負傷者が出てしまうから、その救護要員として呼ばれるという訳か。武家と公家の力関係が逆転した現在において、あくまでも“協力”を銘打った以上断る理由もなく。
「……そういったことであれば、仰せつかりましょう。」
(……こんなことをしている場合ではないが、致し方ない。)
せめて各地から集まるだろう腕の立つ者との縁を作るか、運が良ければ”資質”のある者が見るかるやもと前向きに考えることとしよう。
[ 用語 ]
*堂上家:公家の中でも昇殿(天皇と対面する)ことが許されている家柄の総称。
*知行地:管理権及び年貢収入の権利を所有している土地。