
朧ゝ夜行 -長夜綴り-
幕間
時期:2年前の寒明け。 視点:九条
村での一件から暫く経ち、心身ともに衰弱していた少女——八重も、日中の活動を行うぶんには問題が無い程度に回復を見せた頃合いの話だ。
「面倒をかけましたね。」
「いえ。……ところで、其方の子どもが例の?……やけに懐いているようですが。」
訝し気に眉を寄せた葉室は、背後の少女へと視線を向けた。
鋭い視線を向けられた少女、八重はこちらの上着の裾を握り込んでおり相対している男への警戒心を露わにしたまま小さく縮こまっていて、その様はさながら、親猫の背に隠れて家を逆立てる子猫のようでもあるだろう。
ごく短い期間でこうも懐いている様子を傍から見れば不自然に写るのも仕方なかろうが、葉室がもの言いたげにこちらへ寄こした視線には別種の意味合いも含まれていそうで、苦笑を溢せば片手を振った。
「よしてください。あくまでも”保護”ですから。」
「そうですか。では、その札は……」
「ああ——、力の制御が難しいようでしたので、こうして札で力を抑え込んでいるのですが……。」
「なるほど、…………。」
「言わんとすることは分かっています。私も悔いておりますから……。」
咄嗟の判断とは言え、やはり年頃の少女の額にお札を張り付けてしまったことは愚行だった。事の一件からは暫く経っているが、これのせいで滞在している宿の女将を始めとする人々からも不審な瞳を向けられてしまって、流石に居た堪れない思いであったのだ。
しかし、本人の前であれやこれやと話すのも憚られ、一先ず端的に説明をしてから背にへばりつくようにしていた彼女へと視線を向けた。
「八重さん、こちらの人は見かけよりもうんと優しい人ですから、怖がらずとも大丈夫ですよ。」
「尊様……。」
こちらに向けられたじとりとした視線を流して「ほら、自己紹介なさい」と、そう言って固く握り込まれていた布地を彼女の掌から抜いてやると、寄る辺を無くしたかのように不安気な顔をした後、おずおずと前に歩み出たのだった。
「は、はじめまして……、ごしょうかいにあずかりました、八重と、もうします……。よ、よろしくお願いいたします……。」
「………ワシは葉室万羽じゃ。よろしく。」
片や仁王立ちのような恰好をしている葉室(当の本人にそのつもりはないのであろうが)、片や生まれたての小動物かのように不安気な二人の対比は少々愉快な様ではあった。
「————それで、転移の印は問題ありませんか?」
「ええ、そちらはつつがなく。生憎と遠位から人の召喚はできませんが、対象へ触れた状態での転移は可能なようです。」
「助かりました。彼女——八重さんですが、恐らくこの時期の長旅は厳しいでしょう。……それに、彼女へ施した封印もそろそろ危ない頃合いだと思いますから、時間を要さず山城へ戻ることができるなら、有難い限りです。」
村を出て暫く体力回復に努めたとはいえ、万全とも思えない彼女に大人にとっても苦行となる旅路を強いることは難しく、葉室の力を応用した転移で朧月邸まで移動を試みることとなったのだ。
(尤も彼の力が検証され人体の転移が実用的だと判明したのは秋頃の話で、それ以降は各地に印を結ぶ為、方々を巡って貰っていたので、今回が初回の試みではないのだが————。)
八重にもこれから行うことを説明し、善は急げと術を行使することになる。
「尊様、手を。」
そう言い片手を向ける葉室に自分の片手を添えて。
「……お前もじゃ。」
「は、はい……っ!」
その顔に緊張感を滲ませた八重は弾むような声でそう言えば、自身の掌よりも何回りか大きなそれに、片手を重ねたのだった————。
*
それから暫くの後————
「あら、お早いですね。九条様。」
「常葉さん、……ええ、ふと目が覚めてしまったものですから。」
早朝、雪解けを迎えた庭先を縁側から眺めていれば、同じように早起きをしたのだろう常葉がやって来て。
「もう大分馴染まれたようですね、八重さん。」
「ええ……、少し心配していたのですが、良かったです。」
「今朝も朝餉の支度を手伝いたいと、そう言ってくださいまして。なんと健気な子でございましょうか。」
「……そうですか。」
無理矢理に家族と引き離してしまった彼女だが、様々な背景事情がある者の寄せ集めとも言えるここ<朧月邸>で上手くやれているのであれば一安心だ。
「……嬉しそうですね。」
ふふ、と嫋やかに笑みを漏らした常葉は、瞳を伏せたままこちらを見据えていて。
「ああ……、いえ、こんな風に和んでいる場合ではないのでしょうけれど、皆が健やかに居られるのは嬉しいですから。」
「……ワタクシも、嬉しゅうございますよ。」
「それは何よりです。」
そうして穏やかな時間を過ごしていればやがて朝日が昇り、あたたかな陽光が溶け残っていた雪に反射して視界を白ませるだろう。
「……さて。まだまだ冷えますから、中へ戻りましょうか。」
そう言って羽織を肩に掛け直せば、居間の方へと踵を返す。頷いた常葉も後に続いて他愛もない談笑をしながら廊下を歩いていれば、彼女はふと、思い出したかのように口を開いた。
「そう言えば……、つい先日八重さんへ施したと仰っていた印、問題なく妖力を抑制しているようでしたよ。ワタクシは彼女の持ち得る本来の力を目にしてはおりませんけれど……、少なくとも、見境なく周囲を切り刻むような力の出方はしていないようでした。」
「……それなら良かった。少なくとも私が健在な内は力の暴走も防げるでしょうから、時間をかけて、徐々に扱いを覚えていただきましょう。常葉さんも、是非手助けをしてあげてくださいね。」
「ええ、此処得ております。」
ゆるりと微笑んだ常葉に、こちらも笑みを返したのだった。