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​『香車』

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未だ春の陽気が降り注ぐ中、二人は荘厳な門戸を見上げていた。

 

平等院に位置する宝蔵。通称、“宇治の宝蔵”。

この場所には、古くから伝わる大妖怪――『酒呑童子』や『玉藻の前』また、『大嶽丸』などの遺骸が収められている……と、されている。

それらの品々はいずれも人目に触れるような場所には保管されていないため、葉室に至っては噂程度を聞き齧ったようなものだろう。

……そもそも、言い伝えられているものが実在しているのか、それすらも知る由はないのだ。

 

「さて。では参りましょうか」

片手に手燭を持ち、もう片方にはやや大振りな包みを抱えた九条は、葉室の方を見やり、口元を緩める。

 

「ええ」

短くそう答えた葉室は、その存在を確かめるようにして、そっと、腰に据えた愛刀の柄に触れたのだった。

 

薄暗く埃っぽい空気の立ち込める廊下を進めば、一つの分厚い扉に行きついた。

九条は慣れたように手燭の灯を壁掛けの燭台へと移すと、徐に一言。

 

「決して、魅入られぬように」

 

と。戒めるかのようにして言ったかと思えば、扉を両手で押し開け、さらに奥へと歩みを進めて行った。

 

向けられた言葉の具体性を問う前に消えてしまった姿を追うようにして部屋の中へ入れば、そこにはおおよそ整然とは言い難い様相で、なにやらよく分からない品々が並べられていた。

それらに目を取られていると、――ばたん、と。背後で重い扉の閉まる音がした。

 

「これは……」

「これらは、方々から集められた呪物であったり、あやかしが憑りついている品であったり……。そういった、“人の手にはあまる”ものです」

淡々とそう言いながら、九条は手燭を手ごろな位置に置き、持ち込んだ包みを開いた。

包みの中には束になった紙切れが入っており、そのどれもに難解な図式や紋様が描かれている。

 

「失礼ながら、そちらは?」

「新しい護符です。今日の仕事はひたすらに、これを貼り換えていくだけですからね」

 

そう言いながら、一つの束を葉室へ差し向ける九条。

 

「作業自体はなにも難しいことはありません。今現在貼られている護符はまだ効力を失っておりませんから、危険もないでしょう」

 

見ていてくださいね、と。

そう言いながら束の中から護符を一枚抜き取り、すぐ隣に並べられていた赤褐色の窯を手に取った。

 

「こうして先に新しいものを貼り、四隅を指でなぞったら、古いものを剥がしてください」

「……なるほど、承知しました」

 

頷きながら言葉を返す葉室を見てまた、九条も笑顔を浮かべる。

 

「尤も、この部屋に置かれているものは人に大きな害を齎すものではありません。この茶釜も護符を剥がしたところで狸の尾が生えるだけですから」

「狸……?」

「ええ。熱い湯を沸かそうとすると、跳ねて逃げ回るのだとか」

「それは真の話なのですか」

「さあ……、どうでしょう。少なくとも、私は狸の尾が生えた茶釜など見たことありませんからね」

「……」

「けれど、大切なのは“実在するかそうでないか”ではなく、“そう思い込む人が居るかどうか”ですから」

「……というと」

「“思いが形を作る”と言うでしょう。……ひとならざるものたちの大半も、人々の思いによって形を成していますから」

「人が作った、ひとならざるもの、ですか」

「……おや、とんちですか?」

 

ふふ、と笑い声を漏らした九条は、会話を続けながらも貼り換え作業をこなしている。

葉室もまたそれに倣い、手際よく作業を行っていることだろう。

 

「……この場所は私が生まれる前からこういった役割を担っているようですが、何より大きな役割のひとつが、人々から“隠す”ことなのだと思います」

「隠す、ですか。……壊す、ではならぬのでしょうか」

「……そうですね、確かにそれもまた手段の一つではありますが。それをすることでどういった災いが跳ね返ってくるのかが分かりませんから」

「なるほど……」

そう言いながら次の品へと手を伸ばした葉室を見て、九条ははっと瞳を丸くした。

 

「手を引い……」

その言葉を言い終わる前に、伸ばしかけた葉室の腕に何かが巻き付いた。

 

「……なッ、」

「ああ……」

驚愕と、嘆息。

状況が理解しきれていない葉室の腕を締め付けているのは艶やかな黒い糸――いや、髪だった。

その出所はと言うと、今しがた手に取ろうと思っていた日本人形。

どこか不気味な人形はギチギチと軋みを上げながら、その頭部をぐるりと回転させ、ガラス玉の双眼を葉室に向ける。

 

「この……、」

「待ちなさい」

開いている方の手をすかさず刀の柄へと伸ばした葉室へ、九条は眉を下げて静止の言葉を投げる。

「その人形に、あなたを害する意思はありませんよ」

そう言われてみれば、巻き付いた黒髪は前腕部以上に侵食することはなく、また、痛みを感じるほど締め上げることもしていなかった。

 

「……では、なんの意図が」

 

物言わぬままこちらをじっと見つめる人形に薄気味悪い寒気を覚えつつもそう問えば、九条はわざとらしい神妙な面持ちで言葉を零した。

 

あなた、…………見初められたのですよ」

「……なんと?」

「ですから、見初め……ああ、恋心を抱かれたのだと」

「いえ、言葉の意味は分かりますが」

「そうですか」

そこまで言った九条は、とうとう堪えられないというように肩を震わせた。

 

「ふふ、その人形なんですけれどね。惚れっぽい子なんですよ」

「はあ……」

「ええ。以前家の者を数人連れて来た時も、年若い男の腕に巻き付いて離れなくてね」

想定外の話に肩の力が抜け、思考すらも置いて行かれる。

 

「それにしても、思っていたより札が痛んでいたみたいですね」

早々に状況の整理へ移った九条を見て、葉室は眉を顰める。

 

「……それで、これはどうしたらよいと」

 

視線だけを葉室の方へ寄こした九条は、またも口角を上げた。

「諭してあげてください、優しくね」

 

――べちん、

 

返答の代わりに新しい護符を人形へ張り付ければ、憑き物が落ちたかのようにその艶やかな黒髪はほどけ落ちていったのだった。

 

「さて、日が沈む前に終わらせましょうか」

「ええ」

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