

朧ゝ夜行 -長夜綴り-
『海石榴』
時期:3年前の冬。 視点:九条→椿
茶屋に着いてから暫く取り留めのない歓談をしていれば、花々や盆栽のようなもので装飾の施された仕出し料理が運ばれ、また下女が酒の入った陶磁器を並べて行った。いよいよ酒宴の様相だ。
程なくして襖が開き、嫋やかに頭を垂れる芸者が二人。
「お、待ってたよ椿ちゃん!……と、お菊ちゃんかい!さ、入って入って。」
恐らく“椿”と呼ばれた方が件の芸とやらを使うのだろう。落ち着きのあるその女性は口元をゆっくりと孤月型に微笑ませて口を開いた。
「旦那はん、よろしくおたのもうします。そちらのお方は……、」
品と色香を織り交ぜたような声音でそう言えば、藤色の瞳がこちらを向く。
「ああ、此方は九条殿。山城からいらしたんだ。」。
「それはそれは……、えらい遠いところからようおこしやした。」
紹介にあずかれば、佇まいを直してこちらも会釈を返す。
「どうも、紹介にあずかりました九条と申します。」
「九条はん、どうぞ、よろしゅうおたのもうします。」
そう言って彼女が頭を下げれば、それにならってもう一人の少女も頭を下げた。
そうして淑やかな所作で座敷に歩みを進めた二人は、自然な流れでそれぞれの隣につく。
美味しい料理に上等な酒。都に残して来た二人――それと式神たちを思えば呑気にしている暇ではないのだが、食事に罪はなく。
(二人は上手くやっているだろうか……。万羽が彼の柔和で自然体な振る舞いに良い影響を受けるか、あるいは——……。)
そう思いを馳せていれば、いつの間にか座敷には*地方<じかた>が腰を据えており、どうやら舞踊が始まる頃合いのようだ。
舞を踊る立方は椿が担うようで、お菊と呼ばれていた少女は地方の横に並んで共に三味線を携えていた。
つい先程までは酒のせいか口の回りが滑らかになっていた男も口を閉ざし、行儀よく芸を楽しむ様子。
チャラン、チャラン、と前奏が鳴り。
地方の歌い出しと共に畳へ置いていた扇子の頭を指先で摘まみ上げれば、優雅な舞が始まった。
『梅は咲いたか 桜はまだかいな』

『八柳ャ なよなよ 風次第』
その言葉と共に閉ざされていた扇子が開かれた。途端——、さらさらと、何処からともなく花弁が舞い落ちた。それらは風に吹かれて一度二度舞い彼女の掌へと舞い落ちたかと思えば、瞬く間にその姿を消した。
「――、」
(これが彼女の持ち得る……。)
掌に乗った花弁は、例えるならば“同化”をするように、染み入るようにして肌に消えていったのだ。その様からも、単なる手品の類ではないと一目で分かるだろう。
『山吹や浮気で 色ばっかり』
三味線の音に合わせて両の手を重ね、蝶のようにひらりひらりと宙を彷徨う。そして、その度に湧き出るような花弁や紙吹雪たち。
思わず感嘆の溜息すら零れるだろうその舞は、不可思議な術という事実を抜いたとしても、話題に上がることに納得ができる美しさだと言えよう。
・
・
・
「いやあ、よい席であったな九条殿!」
「ええ、確かに。今日はあなたの誘いに乗って良かったです。」
そう言葉を返せば、夜風で上気した顔を冷やしていた男はご機嫌な様子でこちらの背を叩いた。
「なんだぁ、珍しいじゃないですか。食事か、酒ですか?それとも椿ちゃんがお気に召したんですかい。」
「……全て、とても良いものでした。」
そのまま上機嫌な様子で肩に手を回そうとする男の腕をいなし、大門の方へと足を進める。
(——さて、一体どうしたものか。)
“椿”と呼ばれていた彼女は間違いなく妖力を持ち得る人間——つまり、神薙となる資質のある者だ。しかし、それと同時に吉原の芸者でもある。複雑なしがらみのある土地に身を置き、そこでの仕事を生業としている以上、引き抜くとしても話は簡単ではないだろう。
……尤も、勅令の強制力を持ってすれば簡単な話でもあるのだが、この土地を特有のしきたりや秩序を不用意に乱したくはない。それに、置屋の看板を担うような存在をおいそれと連れ去るのもまた憚られ。
「どうにか彼女が望み、それを手引きするような構図が取れたなら……。おや、」
金銭の類はどうとでもなるのだからなんて考えていれば、先ほどまでは千鳥足ながらも隣を歩いていた男の姿が見えない。
(まったく……、)
この後の展開を想像すれば、息を吐きながらも道中を振り返り——、

「程々にと、お伝えしたでしょう。」
霜柱の立つ道の傍らに転がっている酔っ払いを見れば、呆れたように瞳を細めたのだった。
・
・
・
「姐さん、今日もとっても素敵でした!」
「……ぬしも、上手に弾けておったぞ。」
仕事が済めば、ふたりで肩を並べて置屋までの帰路を歩く。
辺り一変冬景色だと言うのに、道すがら並んでいた灯篭の光に照らされた通りはわずかに暖かみさえあって、どうにも不思議なものである。
「そうですか?よかったあ。…………あれ?」
ふと足を止めた彼女が、紺色の空を見上げる。
「どうかしたのかえ」
つられるように天上を見上げるも、この瞳に映ったものは代わり映えのしない冬の夜空だ。はて、と思い再び彼女へと視線を戻せば、先程とは打って変わって神妙な顔をしていた。
「……雨が降って来たのかと思ったのですけど、……気のせいかな。」
「雨……?」
「水の音が聞こえた気がして——」
そう言いながら小首を傾げた彼女は、大門の方へと視線を向けた。
「――ううん。やっぱり、気のせいでした。」
「……今夜は特に冷えたからの、疲れとるのかもしれん。」
ほら、早く戻ろう。と、そう言い聞かせるようにして彼女のほつれた前髪を撫でつけてやれば、触れた花飾りがしゃらりと鳴った。
全てが普段通りのことなのに、何故だかうすら寒い空気を感じるのは女の勘か。
『海石榴』-前編 終
[ 用語 ]
*地方:舞踊を披露する芸者の傍らで三味線や唄を披露する者のこと。