
朧ゝ夜行 -長夜綴り-
幕間
時期:3年前の初夏。 視点:九条
長旅もやっと終着地点が見え始めた今日この頃。
桜の花弁は散り、その枝には青々とした葉が揺れていることからも初夏を感じさせるだろう。活気のある宿場町には二人の旅人が立ち寄っていた。
「……さて、今日はここで宿を取って、明日一日歩けば都に着くでしょう。壬生さん——」
そう言い隣を見やれば、先ほどまで共に歩いていただろう男<壬生要>の姿が見当たらなかった。
「――は、何方に……」
すれ違う相手と肩が触れそうなこの人混み。もしや何処かに置き去りにしてしまったのかと周囲を見回せば少し後方に揺れる黒髪が見えた。
近付いてみれば、どうやら熱心に店先を覗いているようで。
(彼には手綱でも結わえておいた方がよいのだろうか……)
若干溜息を溢しつつも、その肩をそっと叩いた。
「壬生さん、何か気になるものでもありましたか」
「……ああ、尊。これは一体なんだ?」
彼の言葉に視線を落とせば、そこには小ぶりの貝で作られた独楽が並べられていたのだった。

「おや、お兄さん方“バイゴマ”がお気に召したかい?」
そうしていれば店主と思わしき壮年の男性がやって来て、手を揉みながら笑顔を浮かべた。
「バイゴマ……?」
「ええ。バイ貝の貝殻で作られている独楽のことですね。壬生さんは……初めて見ますか?」
「ああ……、独楽は知っているが、これは初めて見た」
「ややっ、そっちのお兄さんは知らないのかい!バイゴマ遊びっちゃあ、男なら通らずには居られない、そりゃあ熱い戦いよ!」
「そうなのか……?」
独楽の一つを摘まみ上げ、不思議そうな顔を下壬生は首を傾げていた。
「ええ……、特に子ども達の間では目を見張るほどの流行ぶりで……、幕府が何度か禁止令を出す程ですよ」
そんなことに令を敷かずとも、もっと他にすべきことはあるだろうと思えば苦笑が零れもするが。
「へえ……」
まじまじと独楽を見つめる壬生を見てよい買い物客になると目を付けたのか、店主は更に口を開いた。
「店の奥には絵柄が書き入れられている独楽もありますんでね、良ければ見て行ってくださいな!」
*
「毎度、ありがとうございました!」
満面の笑みを浮かべた店主に見送られた九条と壬生は街中を歩いていた。
「さて、そろそろ宿を探しましょうか」
「ああ」
そう答えつつも、壬生は手にしてていた貝殻の独楽を見つめていた。
「そんなに気に入りましたか?」
「……独楽ひとつでも、外には知らないことが沢山あるんだなと思ったんだ」
そう言った彼は何かを思案するように瞳を細めていた。
「……これからですよ。ゆっくり——は、させてあげられないかもしれないですが、一つずつ知ればいいのです」
「……ああ」
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「――さて、着きましたよ。改めまして、ここが今日からあなたの住まいともなる朧月邸です」
出立の際には桜が咲き始めていた庭木も既に蒼葉が茂っており、月日の流れを感じずにはいられない。
「随分立派な場所なんだな」
「ええ、……けれど、今はまだ私以外には一人しか居りませんから、過ぎた場所ですね」
「葉室……だったか?」
彼の言葉に頷けば、扉に手を掛ける。
「きっと、彼とも上手くやれますよ。“良い人”ですから」
早馬で状況と帰還の連絡は済ませてはいるが、彼は上手くやってくれていただろうか。
そんなことを思いながら、玄関先に向かって口を開いた。
「ただいま戻りました!」