
朧ゝ夜行 -長夜綴り-
前日譚【三話】前編
時期:2話翌日。御所にて。 視点:九条
まだ日も登りきらぬ時刻。
畳の目に沿うようにして、どこか物々しい雰囲気の男らは膝を並べていた。
皆一様に緊張した面持ちで、誰が言葉を発するのかと勘繰りあっているようにも見える。
そんな暫くの沈黙の後、顔ぶれの中でも特に皺の深い男が口を開いた。
「此度の騒動だが、いかがあいなっておる?」
「は……、申し上げ難い事態ではございますが、状況を把握できている者が一切居らぬようで」
「やはり、妖怪の類か」
「恐らくは」
曖昧なまま進む会話に気分を害したのか、男は先ほどよりも激しい声音で言葉を連ねる。
「これは由々しき事態ではないか」
その言葉に、部屋に居る男らはより一層険しい表情を浮かべた。
ここに居る者らは全て、所謂公家一族の当主だ。
そして、議題となっているのは昨夜の出来事。すなわち、何者かによる御所及び天皇襲撃の件だ。
公家が政治的実権を失っている今、なぜ、それでもなお自分達が一定の地位を有しているのか。それは、民心の拠り所である天皇の存在が自分達の上にあるからで、そのことを皆よくよく理解している。
つまり、この象徴的存在が失われた時こそ、本当の“おしまい”なのだ。
「しかし、手を打とうにも我々にはどうすることも叶わないのが現状でしょうな。相手が分からぬのですから」
別の男がそう吐き捨てると、皆それには納得といった様子でそれぞれ隣席の親しい者と耳語を始める。
あちらこちらから流れてくる言葉の端を切り取ってみたところで、全て中身のない繰り言で。
状況を進展させるようなものは何一つとして見つからない。
大の大人が揃ってこの状態なのだから、なんと表現すればよいものか。
そうして暫くすると、皆の視線がこちらを向いていることに気が付く。
(まあ、そうなることでしょう)
「九条殿。貴方のご意見はいかがなものなのです?」
こちらを伺うような視線と、その言葉。
要約すると、“守護の任を仰せつかっていた貴方からして、今回の失態はどのように責任を負うのですか”ということになるだろう。
「……そうですね。皆様方がご推察されるように、妖怪やその類の者が起こしたことでしょう」
そこまで言い、一拍分の呼吸をする。
「此度の一件は、私の不徳が致すところ。処分につきましては、皆様方の思うようになさって下さって結構です」
これは紛れもない事実。そして、そもそも端から責任は負うつもりでいた。
けれど、大切なのはその話ではない。
普段よりも声を張り、刺すように。そして、圧するように。
言葉を続ける。
「責任追及はここまででよろしいでしょう。ここからは、今後の話をさせていただきたいと思います」
自身の安全が保障されたからか、どこか落ち着かない様子だった男らは安堵の表情を浮かべ、姿勢を直す。
「今後、と言いますと」
「我々は長く、人ならざるものたちに目を瞑って……いや、知らぬふりをしていましたが。人々は、苦しみ喘いでいるのです」
妖怪や悪霊が起こす傷害、病、災害、祟り、呪い。
長い間、人々はそういったものに悩まされていた。そして、それらを“致し方なし”と、自然現象の類と同様に並べていた。……そうするしかなかったからだ。
そうしてただ眺めているうちに、苦しみ、悲しむ人々は増えていった。
現人神とされる天皇に祈りを捧げる為、御所の周りに通う者。
祟りに見舞われた家族を思い、遠方の神宮まで足を向ける者。
真偽の分からぬ悪霊祓いに多額の金銭を支払う者。
何かに縋らなければ生きてゆけぬ人々が増えていった。
けれど、天皇は神ではないし、神宮に祈ったところでこの地に本当の神が降りてくださる訳ではない。お金で呪いや祟りが祓えるわけでもない。
結局のところ力を持たない人々は“信じる”ことと“願う”ことしかできないでいた。
――その信心も願いも、実を結ばぬというのに。

「動かねばならないと、私は思います」
「……動くと言うと?」
「人々に害成す妖怪や悪霊を祓い、滅する。また、そういった存在が起こした事象に対処する。このようなことを積極的に執り行っていくべきではないかと。そう申し上げているのです」
そう明確に言葉にすると、皆、黙りこくってしまった。
恐らくは、放っておいても良いことなどないと、とうに分かっていたのだろう。
「しかし、ああいった輩には腕の立つ剣士を差し向ければ良いという訳ではないだろう。どうするのだね」
「この日の本には、私のように不思議な力を持つ者が居ると聞き及んでいます。……そういった者らを頼れないでしょうか」
その言葉を聞くや否、今度は座敷に野次が飛び交う。
「どこに居るかも、存在が嘘か真かも分からぬような者らを頼れと?」
「そもそもどのようにして集めるのです?」
「どうせ稀有な力にまみれた痴れ者よ。上手く舵が取れるとは思えんな」
その通りと頷きたくなる言葉も多いが、今は最初の一歩を踏み出すことが大切だ。
きっと、その後の道はあとから幾らでも考えられるのだから。
「仰る通り。……けれど、現状。今回の出来事はすぐ人々へ伝わるでしょう。そうなれば、民の不安や恐れはより大きくなることは想像に容易い」
「それはそうだろうが……」
「そして、そういった人々の救いを求める気持ちは誰へ向くでしょうか。……救われなかったと、そう嘆く気持ちはどこへ向けられるのでしょうか」
「……」
「きっと我々と、そして、幕府に対してでしょう」
「九条殿は何が仰りたいのです」
本題を急かす言葉に、今一度軽く息を吸う。
「ええ、そこで。この状況を利用して、あちらにも話を持ち掛けてみようと思うのですが」
そこまで言うと、私の思惑を察した者は皆驚きの表情を浮かべる。
「それはいくら何でも……」
「まともに取り合うとは思えんが」
「そもそも、我々と幕府が手を結ぶ所以などないだろう!」
ある者は消極的で、ある者は呆れ、あるものは怒り。
その反応が想像の通りで、一回りして愉快な気持ちにもなると言うもの。
「皆さまの言いたいことも理解しているつもりです。けれど、成すべきことが共通になった今は、どうにか手が取り合えないだろうかと。……持ち掛けてみるだけでも、動いてみるべきではありませんか?」
問いかけに返答はなく、座敷には微かに野鳥の鳴き声が響くばかり。
そんな時間が少しばかり続いたが、静寂の中一人の男が口を開いた。
「私は九条殿を止めやしません。けれど、共に責任を負うこともできませんな」
そう言い、瞳をこちらに向ける男。
「私は貴方とは違ってただの人間だ。きっと、貴方とは見ているものも考えていることも違うでしょう。故に、九条殿のなさることに追随することも、ましてや責任を負うこともできませんとも」
尤もな言葉だ。
言ってしまえば、こちらは妖怪や悪霊の類から自分の身ひとつくらいは守ることができる。つまり、捉え方によっては安全圏から講釈を述べているだけのようなものだ。
「分かっています。私も、皆様方に何かを背負っていただこうとは思っておりません。昨夜の一件も、今お話ししたことも、全て私の致すところです」
だからこそ、“これは私が勝手にやりたいことで、貴方がたに不利益などない”と言い切る必要がある。
改めてその意思を言葉にすれば、男は目つきを穏やかなものへ変えた。
「ふむ。……ならば尚更のこと、私が口を出すことではあるまいな」
そのまま皆へ目を向けた男。
同意を促しているかのようなその視線に、「これ以上は何も言うまい」といった空気が広がる。
まったく、責任の所在が問われぬ場において、人とは如何様に柔軟な思考を持つものか。
「皆様方有難うございます。ではそのように、一度話をさせて頂こうと思います」
頷く者、単に口を閉ざしただけの者、我関せずの者。
様々ではあるが、結果としては上々だろう。
「では、一先ずは解散といたしましょう」
集いを仕切っていた者の声で、一同席を立つ。
皆足早に座敷を出て行き、最後には先ほどの男と自分だけになった。
「……先ほどは口添えを有難うございました」
「口添え?都合の良い解釈をしているようで、結構なお冠だ」
「……そうですか。けれど、思い違いでも私は助かりましたから。」
「なんだ、つつき甲斐がないなあ。……まあ、実際の話、皆困ってはいるんだろうさ。この現状に」
「そうでしょうね」
「そうさ。だから、自分の身に危険が及ばない範疇で事が良い方に転がるならば、利用するしかないってわけだ」
先ほどよりも大分砕けた口調で話すこの男は、恐らくその振る舞い以上に聡い人物なのだろう。
「それじゃあ、“こちら側”の為にも頑張ってくれたまえよ、九条殿」
それだけ言うと、その男も座敷を出て行った。