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​『曙』

時期:3年前の春。 視点:九条

​​​​​——バチリ、閃光が散った。

​​

”生食”と呼ばれた馬のようなあやかしは、まるでイクルミサマとこちらの間を分断するようにして走り込み、そのままの勢いでこちらを踏みつぶさんと蹄を振り下ろす。

しかし、寸でのところでそれをはじき返せば隣の彼<イクルミサマ>へと視線を向けた。

​「……っ、あなたの知人であれば、なんとか諫めてはいただけませんか!」

結界もろともこちらを踏み抜こうとする両の前足を何とか抑えつつも、先程目にした彼の獣と心を通わせるような素振りに期待をしてみるが――

「……そいつはあんまり俺の話を聞かないからな」

ううんと口元に手を添えた彼はまるで危機感を覚えていないようで、癇癪を起した友人を見るかのような様子であった。

「であれば――、……滅するしかありません。幸いと敵視をされているのは私のようですから、あなたは少し離れたところで————」

 

『それはいけない』

​「――っ!」

そう言って、結界を解き距離を取ろうとしたところで、不意に、何者かに制止をされるかのよう腕を掴まれる感覚がした。

『その子はね、何も悪いことをしようとしているわけではないんだよ。だから、乱暴はよくない』

 

その声と共に姿を現したのは――、昨晩宴会場に居た少年(のような何か)だった。

少年はイクルミサマの方を見れば、その幼い姿からは想像もつかないような大人びた笑みを浮かべて口を開いた。

『かなめ、久方ぶりだね』

「……ああ、あんたがここまで降りて来るのはめずらしいな?」

『うん、キミ達があまりにも騒がしくしているから来てみたんだけど……』そこまで言って、やれやれとため息をこぼした少年はあやかしの方へ視線を移した。

『……生食や、キミもキミでお客人に乱暴はよくないよ』

突然現れた少年に諭すように言われれば、生食は荒い息を吐き出しつつも此方に向けていた蹄を下ろしたのだった。

(”かなめ”……、それが人としての名前なのだろうか。)

とにかく尽きない疑問に眉を寄せつつ、腕を下ろせば無意識に手首をさすりもするだろう。

「……ありがとうございます。……して——」

『私達は一体何者か、とでも言いたげな様子だね』

 

先読みをされているかのような少年の言動には少しばかり瞠目し、けれど、その通りだと頷いて見せた。

「彼……、イクルミサマと言い、あなたと言い、そちらの方<生食>と言い……。そもそもあなたは一体……?」

『僕は所謂”霊”だね』

「霊……、しかし、そうであれば何故この目に見えているのでしょうか」

実態がないから霊なのだ。そして、自身にそういった存在を視認する能力は備わっていないし、この少年の霊が通常の人間にも視認できる特別強力な存在にも思えなかった。

そんな疑問を察してか、少年は落ち着きを取り戻した生食を撫でるイクルミサマの方へと視線を向けた。

『かなめ……イクルミサマのお陰さ。彼がこの山へ信仰を集めてくれていたお陰で、ここら一帯のあやかしや霊はそのおこぼれにあずかって力を蓄えることができていた。それに加えて、彼が僕たちを”視てくれる”ことで、僕たちは容易に形を成すことが叶った。……まあ、彼はそんなこと意識していないだろうけどね』

「……その”みる”ということが、彼の特異な能力なのですか」

『簡単に言うとそうだね。みる……と言うより、知覚する、かな。かなめに認識できないものはないと思う』

「なるほど……」

「……?」

少年に応えながらもイクルミサマの方へと視線を向ければ、こちらの会話を知ってか知らずか、不思議そうに首を傾げていた。

少年の姿をした霊よりもよっぽど幼い印象を受ける純朴な彼<イクルミサマ>は、本人の知らぬところでこの土地にとって余程大事な役割を成していたのだろう。それゆえに、生食は彼を連れ去ろうとしたことを許さなかったのか。

「しかし、私は彼を連れて行きたい。……どうしたら許していただけますか」

彼自身に許しを得る前に(いや、実質勅令を受ける人間に選択肢はないのだが)、まずはこの土地に許されなくてはならないのかと、そう思えば弱ったように眉を下げた。

『僕は止めはしないよ。それに、かなめは人の子だから人の世で生きていくべきだとも思うさ。……でも、色々な意味で彼を必要だと思っているのは僕だけじゃないから。特に生食は許さないだろう』

「……この山の力が弱まることで外から害されることを危惧されているならば、私がここと外を隔絶する結界より強固に張りましょう。……それではなりませんか?」

そう言った時。こちらの様子を伺っていた生食が鼻息を鳴らし、牽制するようにその場で蹄を鳴らし、『どうやら、生食はそれでは嫌なようだね』と、少年は苦笑を漏らしたのだった。​

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