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​『曙』

時期:3年前の春。 視点:九条

​食事が済み、改めて彼に本題を話すべくその姿を探すも、招かれていた屋敷の中には居らず。

村の中を探してみれば、丁度祠のあった山の方へと繋がる道すがら、一本の枝垂れ桜の下にその姿が見えた。

「……山の中へ戻ってしまったかと思いましたよ」

駆け寄ってみれば、彼はぼうっと上を見つめていて。

「その桜に何かありますか?」

「……いや、」

矢張り面布のせいで読み取り難い彼の心情には苦笑が零れ。

逃げるように、いや……、上手い言葉を探すように(もしくは彼を言いくるめるような言葉を探していたのかもしれないが。)自分も桜の枝を見つめた。

(固く結ばれた花芽が付いているだけでなんの彩りもないそれが、彼にとっては魅力的に写るのだろうか。)

「……改めてお伝えしたいのですが。私はあなた様……、いえ、かなめさん。あなたを山城に連れ帰る為にここへ来たのです。この地の外は、あなたにとって生きやすい世ではないかもしれません。外の世界であなたに無理を強いることもあるかもしれません。それでも……、どうか、共に来てはくれませんか」

さらりと風が吹いて、垂れ下がった枝が揺れる。

彼は沈黙のままそれを眺めていたのだが、暫くしてようやく口を開いた。

「……この桜、俺が神様だった頃からここにあって。でも、一度も花が咲かないって、縁起が悪いとか、色々言われてたんだ。でも――、今日は、ほら。咲いた」

 

春風に吹かれてはためく面布が煩わしかったのか、徐にそれを外した彼はそう言った。

​そんな動作に驚く間もなく——今度は固く結ばれていた芽がほつれ、柔らかそうな花弁がのぞいた。それが不思議なことに、ひとつふたつではなく、まさに満開とでも言うように。

「――――、これもあなたの力ですか?」

美しいその情景に息を呑み、思わず彼を見る。

「いいや。……あんたがあったかいから。……冬みてーな色してんのに、不思議なもんだな」

揺れる面布から覗く横顔が”本当にそう”であるかのように真剣なものだから、意表をつかれたように瞳を丸くしてしまって。

「私にそんな力は——……」

そう否定をしかけて、けれど、目の前の情景の美しさに否定をする方が野暮な気もする。

「いえ……、そういう廻りということにしておきましょうか」

”冬の色”と言われたことは初めてで、その詩的で擽ったいような表現には誤魔化すように苦笑を浮かべ。それで、あなたの答えは?と促すように視線を向ければ、彼は言葉を続けた。

「……渡り鳥と一緒だ、北上してもいい。……とは思うが、山城の都なんてそんな格式高そうな場所に、本当にこんなやつを連れて行きたいのか?」

「……勿論。あなたが快く来て下さるなら私は個人的に嬉しく思いますし――……。尤も、これは勅令ですから、例え嫌がられてもあなたを連れて行かざるを得ないのですが……」

卑怯な言い方をしてすみませんと頭を下げれば、彼はからりと笑って見せたのだ。

「……ははっ、強制、それも嫌いじゃない。裏がないほうが俺も楽だ。何重にも罠張るような奴をごまんと見てきたからな。単純明快って言うんだろ、こういうの」

 

これまでの様子からはあまり想像できなかった彼の快活な様子に瞳を瞬かせるが、恐らくは彼の本質に近い側面がこの姿なのだろう。そう思えばこちらも口元が綻んで。

 

「そう言っていただけると、こちらとしてはとても有難い限りです。それでは——」​

 

勅令の文と、神薙としての身分を示す証である印籠を取り出して、彼へと向き直る。

 

「恐れ多くも主上に代わり、あなたに告げます。かなめさん、神薙として主上の為、そしてこの世をより良いものとする為、その身、その力を預けなさい。そして、その名誉の為に生きると…………、…………、いえ、私が言うには些か傲慢がすぎますね。……兎も角、私達にはあなたの力が必要です。どうか、仲間として共に来てください」

 

途中までは真剣な顔を作っていたが、余りのしまらなさには堪え切れず苦笑してしまったのだった。

「……ああ、あんたについて行くよ」

 

 

『ねえ、生食。人は何かの始まりを曙(あけぼの)と言ったりもするが、まさしく今日はそんな日であると思わないかな』

​村の人々に見送られ去って行く背を、遠くから見つめる少年の姿もまた、春麗らかでほのぼのとした様子であったことだろう。

​​『曙』-後編 終

【曙/あけぼの】ほのぼのと夜が明けはじめるころ。新しく事態が展開しようとするその時。


 

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