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​『曙』

時期:3年前の春。 視点:九条

「九条さん、本当にここで大丈夫ですか?掃除も碌にしておらんで、埃っぽくて……。部屋なら他にも用意できますが……」

「ありがとうございます。けれど、謹んでご遠慮させていただきますね。いきなりやって来てそこまでご迷惑をお掛けする訳にはいきませんから。……それに、こういった空間の方が落ち着く性分でして」

 

それに、誰にも咎められない今でないと、こういった場所で寝泊まりなどできないだろうから。(始終顰め面で血色不良の君なども思い浮かべばくすりと笑みも零れる。)そういった、若干の好奇心もあっての事だということは伏せておこう。

「そうですか……。ま、何かご入用でしたら宴会場で酔いつぶれている奴にでも言いつけてくださいな」

困り顔の女性は、しぶしぶと言った様子でそう言えば去って行った。

「さて……、」

宴会場のそばにあった物置を宿として間借りしていた九条と言えば、蔵から持ち出した文献を積み上げ、夜通し読み漁る算段であったのだ。

「イクルミサマが人間であるのなら、そう昔の文献には記載されていないでしょうし……」

勿論妖力による奇跡の力をもってすれば、寿命なんてものは当てにならないかもしれないが、一先ずは近い年代の記述から目を通すことにしたのだった。

 

何度か油を差した行灯は紙面を橙色に照らしており、室内には紙を捲る乾いた音だけが響いていた。

「…………、…………」

ぱさり、ぱさりと頁を捲っていれば、ついにその文字が目に入る。

「――”イクルミサマ”」

それは十数年ほど前に記載されたものであり、想像よりもずっと最近の出来事だったことには些か瞠目した。

文字をなぞるように指を滑らせ、その内容に目を通す。

「…………、なるほど。要するに”イクルミサマ”とは現人神信仰という訳か」

記載されている内容が真かどうかは判別できないが、どうやらこの地には稀有な力を持っていたが為に神の子とされた”イクルミサマ”なる存在を祀った信仰があったようだ。

文献には信仰心の高さがうかがえる文体で記載されていたものの、要約すればそういうことだった。

さらに読み進めてみれば、どうやら既にイクルミサマ信仰は廃れており自然消滅をしたとの記述で終わっていた。

イクルミサマのその後については記述内容に差異があり、『祀っていた祠に賊が入り殺された』や『火事により祠が全焼し行方不明となった』や、その他『イクルミサマはその力で生き延び今でも祠に住んでいる。そして自分を助けようとしなかった村の人々を祟っている』など、様々であった。

いずれにせよ、書かれ方からして良い終わり方をしなかったのであろうことは容易に想像できる。

そうして粗方を読み終えれば綴りを床に置き、息を吐く。

(力を持っていたが故に神にされ、最後は憎まれるような終わり方になってしまったのか……。)

驕り高ぶりかもしれないが、自分はそれを——この一連を、”哀れ”だと思わずにはいられなかった。祀られた側も、祀り上げた側もだ。

そもそも、主上<天皇>を差し置いて人の子を現人神として祀ること自体罪深いことであるが、それ以上に——、これは個人的な同情心とでも言えよう。

(万羽も私も、ある種幸運だったのかもしれないな……)

都に置いて来た彼も自分も力の為に悩みはすれど、他人に生き方——……いや、”在りよう”を決められることはなかったのだから。

”イクルミサマ”という人間が、自分が神として祀られていたことをどう感じていたのかは分からないが、仮に生きていた場合、人の世の道理は通じないかもしれないし会話すらも叶わないかもしれない。自我すらも危うい可能性だってあるだろう。

幼少から神として育てられてきた者であるならば、人としての感覚は持ち合わせていないほうが自然ですらある。

そういった存在を勅令によって人の世に連れ出したとて、果たして神薙として——いや、人として生きていくことができるのだろうか。

それ以前に——……、

再びその存在を祀り上げ、あたかも道具のように使うことを(使われることを)良しとするのだろうか。

「…………、」

(とはいえ、そんな控え目なことを言っていられる場合でもないのだが……。)

 

 

行燈の火を消し、借り物の布団に横たわった。

都では当てにならない似非能力者を見定めている葉室も居るのだ。今頃きっと、眉間の皺が一層深くなっていることだろう。

そんな哀れな臣下を思えば、一人でも多くの神薙を連れ帰るのが自分の役目であることを今一度胸に刻み、眠りに就いた。

『曙』-前編 終

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