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​『香車』

時期:3年前の春 視点:葉室

ドン、と。腹部に感じる衝撃と、焼けるような痛み。

そして、耳に届いた九条の言葉で状況を理解する。

 

(賭けが外れたか……)

 

長くこの目で見てきた彼の能力はよく理解している。

支援に特化していたとて、この場を押し勝てるようなものではない。

そしてそれは、“今の自分”にも、同様のことが言えるのだろう。

まるで刃物のように硬質化した女の髪は、束になって葉室の腹部を貫き、弱った獲物を捕らえるかのように巻き付いた。

そして、先ほどの人形の者とは比にならない力でギチギチと締め上げる。

 

 

現状を打破することができる希望は潰え、このままでは共倒れの未来が待っている。

尤も、二人の犠牲で終わるならばまだしも場所が場所だ。

この場に眠っているものらが覚醒したのなら、たったふたりの被害では済まないだろう。

――では、自分ならどうだ?

この身に宿る力を、ずっと、隠して生きてきた。

幼少期からを共に過ごし、本来であれば隠し事なぞ許されるような立場であるにもかかわらず、『隠して』いた。

 

それは何故、何のためだったろうか。

 

人の為に尽くし、結果として命を落とした父と同じ轍を踏みたくないからか?

他者の為に身をすり減らし自身の安寧を犠牲にする道を、自分は“正しい”とは言えないからか?

 

では、果たして。

持てる力を行使せず、ただの傍観者で居ることは“正しい”のだろうか。

 

(そんなもの、……。)

 

前髪から透ける向こう側には、いたぶることに飽きたのか今にもこちらを喰らおうと大口を開ける女と、ちぎれた足を不格好に動かしながらも向かってくる大百足が見える。

圧力に耐えきれず、ぼきり、と鈍い音を響かせる肋骨。 

鈍い痛みで思考が鈍り、自問自答の回答すらもまとまらない。

こんな自分が、酷くもどかしい。

渦巻く不快感に奥歯を噛み締めたその時。

 

バチッと何かが弾かれる音と、火花のように爆ぜた光。

そして、いつまでたっても訪れない痛み。

 

瞳だけを動かして状況を確認すると、視界の端であの特徴的な色をした髪が揺れていた。

「しっかりなさい、万羽。お前が問題ないと言ったのでしょう!」

 

化け物らと自分の間に立ち結界を張り、顔だけをこちらへ向けた姿勢で、まるで怒っているかのように言葉を放つ尊様。

視線が交われば、彼は緊張した面持ちをゆるめ、どこか憂いを帯びた瞳をこちらへ向けた。

「……それともお前は、自分の言葉にすら責任を持てないような不甲斐ない男ですか」

 違うでしょう、と。

続いた言葉に全てを悟る。

 

――無為な時間だった。

そう思えば、自然と口角が上がる。

 

明確な答えは、“ここで死んではいけない”“死なせてはいけない”ということだけ。

ただ、その為に力を尽くせばいいのだ。

「……長らくの間、申し訳ございませんでした」

「藪から棒になんですか、今はその拘束を解く方法を考えなさい!」

 

――尊様はそうおっしゃるが、方法など考える必要はないのだ。

ただ、『隠している』だけなのだから。

 

軽く息を吐くと、軋む肋骨。

その痛みに思わず苦笑を浮かべつつも、丁度手の届く位置にあった、半壊状態の棚へ指先で触れる。

 

「尊様、私が合図を送ったら結界を全て解いてください」

 

ぬるりとした指先を滑らせ、印を描く。

 

――正しさを探して、見失って、覆い隠すことを選んだのに。

結局、なし崩しで表に出す羽目になるとは。

 

そんな風に自嘲しながらも、描き終えたそれを見つめる。

 

「――、全て済ませたら、始終をあなたの口から聞かせてもらいますからね」

「ええ、勿論のこと」

 

そうして交わった視線は、いつかの昔、少年同士が交わしたそれとよく似ている光を帯びていたのだった。

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