top of page

​『曙』

時期:3年前の春。 視点:九条

「……そうでしたか。とても有益な情報を教えて下さりありがとうございます」
「いいえ、もっと詳しいお話ができたら良かったのですがねえ……。――ああ、そうです。外の蔵に、この村や土地にまつわる伝書もあった筈」

ぽん、と手を鳴らした老婆は「よければご覧になりますか?」と九条を見た。

二つ返事で頷いた九条に老婆も頷き返し、丸まった腰をさすれば立ち上がった。


「ではさっそく鍵を取ってきましょう。ちょいとお待ちを」

「何からなにまで、ありがとうございます」

「どうぞお気になさらずに。それに……わしも、イクルミサマがいらっしゃるのなら、是非お会いしたいのです」

控え目に、しかしどこか哀愁のあるしゃがれた笑い声を漏らしながら、老婆は部屋を出て行った。

​・

席を立った老婆の帰りを待つ最中、九条らの話を興味深げに聞いていた少年が再び口を開いた。

「……ねえねえ、お兄さんはその“イクルミサマ”を見つけたらどうするの?」

純粋な色をしたびいどろのような瞳が九条を捉えて、興味深げに返答を待っている。
「どうする、ですか……。簡単に表現をするのは難しいですが、どうかその力で人の世を助けていただきたいと――」

そういった、その時。

少年は不意に九条と距離を詰め、覗き見上げる形で視線を合わせた。

 

「……っ、どうかなさいましたか」

唐突な出来事に少しばかり瞳を開いた九条は眼下の少年が何を思っているのかが分からず、困ったように見つめ返すことしかできず。

しかし――、少年の瞳孔が不気味に細められたさまに気が付けば、騒がしかったはずの音が一瞬にして遠くのものになった。

​『……僕の友達がね、彼を連れて行ってほしくないって言ってるんだ』

「あなたは――、」

少年の纏う異様な空気を感じた九条は反射的に距離を取ろうと立ち上がり——、

その刹那。少年に向いていた意識が引き戻されるように、宴会場の引き戸が開く音がした。

はっとした九条が音のする方へと視線を向ければ、どうやら蔵の鍵取りに行っていた老婆が戻ってきたようだった。

「九条さん、お待たせしましたね。…………どうかなさいましたか?」
「――いえ、……ありがとうございます」

老婆に礼を述べながらも少年の座る方へと視線を戻したのだが、……そこには既に誰も居なかった。

(これは件のイクルミサマの……?それとも、他に何か巣食っているのだろうか。)

 

一抹の不安を覚えつつも、今は情報を得るためにと老婆の方へ歩み寄ったのだった。​

bottom of page