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​『曙』

時期:3年前の春。 視点:--

ぴちぱちと野鳥達が語らい、やわらかな陽光に包まれた昼下がり。

伊予国なる離れ島の小さな村を覗いてみれば、風情のある茅葺屋根の軒下には何やら人だかりができていたのだった――。

「……さて、どうでしょうか」

「どれ……、おお、こりゃすげえや!肩の痛みも腰の痛みも綺麗さっぱりなくなっちまってらあ」

感嘆の声を上げ身体の節々を回す男を見て、周囲を取り囲んでいた見物人らもまた驚きの声を上げる。

 

「それなら良かった」

「にいさん、あたしにもやっとくれよ!」

「わしもじゃ!」

次々手を上げる彼らを見て苦笑を浮かべたのは、探し人を訪ねてこの地へやって来た旅人――九条尊だ。

 

察するに閉鎖的な空間であろうこの山間の地へやって来た九条は、自身が警戒される異端であることは理解していた。その為、まずはどう村人に取り入ろうかと思っていた矢先。

都合よくと言ってはなんだが、腰をさすりながら重い農具を引きずるようにして歩いていた老婆に出会ったのだ

そして、その老婆に対し妖力を用いて腰痛の緩和を行ったところ——、今に至る。

 

「こんな山奥ですと医者のひとりも居らんものでね、助かりますよ」

快活に笑う村人をはじめとし、気付けばこの摩訶不思議な奇術を使う旅人を見物しようと、庭先には村中の人が集まっていた。

 

「困ったときは助け合いですからね」

(……急いでも仕方がない、今は彼らと打ち解けることを優先しましょう)

 

眉を下げて笑った九条は、さてもう一仕事、と袖を捲った。

            

 

――そうして、気付けば黄昏時。

村の集会場では大人から子どもまでが一堂に会しており、宴会騒ぎの真っ最中だ。

九条の思惑通りこの村の人々は彼を受け入れ、歓迎の様相である。

 

「なあ九条さん、あんたはまた何でこんな辺鄙な場所まで来たってんだい?」

目新しい出来事が少ない彼らにとっては、都からやって来たという九条の話が一種の娯楽のようなものになっていたのだろう。

酔いの回った赤ら顔の男は前のめりになりながらもそう言うと、周囲の村人も同調するように首を縦に振った。

 

「ええと……」

 

ずい、と顔を寄せた村人らの圧に押されやや身を引いた九条は、口元に手を添えて言葉を探し、少しの間を置いて口を開いた。

 

「実は……、人――いや、ある“噂”を追っていたらこの地に辿り着きまして」

「噂?」

「…………、“イクルミサマ”。この名をご存じですか?」

 

その単語に一番手前に居た村の少年は瞳をまるくし、興味深そうに瞬かせた。

「いくるみさま……?それってなあに?」

「私も詳しくは存じ上げぬのですが……。」

丸い声で自身の言葉を反復した少年に曖昧な笑みを返しつつ、九条は今一度姿勢を正した。

 

「改めて皆様にお聞きします。特異な力を持つ人間、もしくは霊やあやかしの類かもしれませんが……。ここら一帯にそういった噂や言い伝えはございませんか」

 

九条の問いを受けた村人らは隣並ぶ者と言葉を交わし、何かを示し合わせているようだったが、暫くすると中でも老年の女性が口を開いた。

村人の中ではどこか異質とも言える品格を感じさせたその老婆は、柔和な笑みを浮かべて口を開くだろう。

 

「九条さんにはご恩がありますから、わしらでお力になれるのなら」

そう言い、彼女は言葉を続けた。

「……けれど、先に答えを言ってしまいますとわしらも“イクルミサマ”というお方をよくは知らぬのです。……ただ、不思議な力を持つ神のようなお人——イクルミサマがあそこに御座すと。そういった信仰がこの村には伝わっておりましてね」

そう言いながら、女性は緩慢な動きで縁側の外――この場所からそう遠くない場所にある山を指差した。

「あの山には小さな祠があります。尤も、何年か前に火事で燃えてしまったようですから、イクルミサマが未だ居わすのか……。それに、近頃は人ならざるものたちの気が立っておりましてね、暫くはお供えもなにもできていないのです。こんなですから、仮にイクルミサマがいらしたとて、もうあの山からは離れてしまっているかもしれません」

そう言って、深い皺の入った顔をくしゃりとさせた老婆はどこか悲しそうに笑った。

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